!!終戦特集!! 8月12日投稿文
幼い頃の戦争体験、終戦直後の暮らしぶり等、後世に伝える為神戸新聞の企画
タイトル ◆やっと神戸に戻れる◆
水上 貞子 89歳(無職 神戸市中央区)
私が終戦を迎えたのは国民学校4
年生。姫路の母方の伯父の家に縁故
疎開していた時でした。3月に神戸
の学校が空襲で全焼し、集団疎開か
縁故疎開するようにとの学校からの
通達により、私は幸いにも母方の伯
父伯母が引き受けてくれました。
8月15日は天皇陛下の放送がある
というので正午に隣保長の家に全員
集まり、聞きました。でも私は何を
言われているのか全然分かりません
でした。大人の方たちがすすり泣く
姿に戸惑っておりますと、伯母が戦
争に負けたと教えてくれました。
私は、戦争は終わった。母のとこ
ろに帰れるのだ。とものすごくうれ
しかったのを忘れることができませ
ん。伯父、伯母は大変よくしてくだ
さいましたが、学校では都会者と呼
ばれ、誰一人も友達になってくれま
せんでした。終戦の日に見た夕日は
今でも脳裏に焼き付いております。
タイトル ◆姫路空襲を避けて生まれて◆
谷 綾子 79歳 (主婦 朝来市)
幼い日、誕生日の頃にな
ると母は「あんたは運のい
い子なんやで」が口ぐせだ
った。
昭和20年7月4日朝、母
は戦争中のこともあり、ま
た年子の兄がいたことで、
九州で里帰り出産をし、私
は生まれた。姫路空襲の2
回目が7月3日から4日未
明だった。兄が生まれ、私
もそこで生まれるはずだっ
た病院のある姫路市内周辺
は、お城が残ったのが不思
議なほど一面焼け野原と化
し多くの命が奪われたこと
を後に知った。母と私は生
きてはいなかったのだ。姫
路市平和資料館を訪ね改め
て母の口ぐせを確信した。
終戦を迎えるこの時期に
なると、母の口ぐせを思い
出す。そして今、何とか元
気で79歳の誕生日を迎えら
れたことは、私は「運のい
い子」なのだろう。
昨年、母の三十三回忌の
法要を無事済ませた。
タイトル ◆銃後の母の頑張りを目にして◆
土肥 可越里87歳 (無職 加東市)
昭和16年7月、田植えを
済ませた暑い日に、父は出
征していきました。
その日から母の苦労が始
まりました。幼い私をつれ
て家を守り田畑を耕さねば
なりません。20代の若さで
朝早くから夜遅くまでまっ
黒になって働いておりまし
た。
あぜ草を鎌で刈って牛に
食べさせていました。草刈
りについていって、あぜで
遊んでいたのを思い出しま
す。母方の祖父がよく来て
田の仕事をしてくださって
いました。昔は全て手作業
でした。足踏みの脱穀機を
前にして「この機械が分解
できたら、1人で田んぼへ
もっていけるのに」と思案
顔で言った声が今も耳の奥
に残っています。収穫した
お米は全て「兵隊さんに食
べていただく」と言って供
出しておりました。母の人
生を狂わせた戦争。戦争だ
けはしてはなりません。仲
良く平穏に暮らせる日が来
るのを祈ります。