電車内を見渡せば、多くの人が手の
ひらのスマートフォンに視線を落と
す。メールをやりとりし、ゲームや
通信アプリなどに興じる。画面上で
指先を動かすのに忙しい◆姫路から
神戸の貿易会社に向かう電車で、後にファ
ッションデザイナーとなる高田賢三さんは
車内広告に目を奪われた。1957年、女
子学生しか受け入れなかった東京の文化服
装学院が、男子を募集するとの内容だった
からだ◆姉2人と少女雑誌を愛読し、洋服
を仕立てる母親のもとで育った。洋服学校
への進学を志したが、父親の反対で断念。
その後、神戸市外国語大の夜間部に通いな
がら昼間に働いて資金をため、19歳で同学
院に入学した◆姫路市立美術館で7月21日
まで開催中の「高田賢三展」を鑑賞し、生
い立ちやパリでの活動歴に触れた。浴衣な
どに使われる木綿をおしゃれ着に活用した
先駆者で「木綿の詩人」と称された◆かつ
て播州平野では木綿の栽培が盛んで、江戸
に送る綿布は姫路に集まった。明治以降は
紡績工場が集積し、生家近くには衣料品店
も多く立ち並んだ◆高田少年は、母親の人
脈で近所の店に布の端切れをもらいに訪れ
たという。綿花の花言葉は「母の愛」。洋
裁好きの母に育まれた感覚は、終生の活動
拠点にした花の都で花開いた。2025・5・25
ちょっと我がコラム
毎朝、楽しみに読んでるこのコラム、木綿の事が書かれてたので私の母の実家を思い出した、昔、近所の方たちも一緒に綿の栽培をしてた、私が小さい頃遊びに行き、天井を見上げると大きな農業用の箕(ミ)に「久」の文字が書かれ飾ってあった、その家は「綿久さん」と近隣から慕われてたらしい、地域は加古川で大方の農家が綿を栽培してたと聞いてた事、母との会話を久々に思い出し懐かしんだ。