人は一般に口達者になった。当世は
全部がおしゃべりといってもよい。
民俗学者柳田國男がそう書いてから
80年余り、人はますますおしゃべり
に忙しい◆長く一つ土地で暮らして
いれば、気心ば知れ、言葉も省略される。
ところが都市化が進むとそうはいかない。
見知らぬ人がつながるには世間話がいる。
そこへメディアが発達し、新しい話の種が
次々と提供された◆さらにデジタル空間で
おしゃべりは、時や所を問わず、文字でも
できるようになった。話し下手だと臆して
いた人も、よほど物が言いやすくなった。
けれども話を広げ、膨らませやすくなった
からこそ、注意が必要だ◆元は、聴く人の
耳を喜ばせたものを「ハナシ」と呼んだ、
と柳田は言う。うわさ話もその一つ。誇張
も有れば、作り事もある。昔話や世間話で
「~だそうだな」と添えるのは、真実を請け
合われぬという意味だとする◆「今日世間
で口達者と言はれるのは、大抵は考へ無し
に物を言ふ人たち」だとも柳田は評する。
目の寄るところに玉も寄る。耳目を引く話
であるほど、事実確認のファクトチエック
が求められる◆関西由来の「知らんけど」
まで、便利な責任回避として流行語になる
時代である。柳田の期待した、自分の言葉
で話す社会へ、道はまだ遠い。2025・2・16