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神戸新聞、正平調書き写し

梅の便りが届くようになった。本紙
の地域版を繰ると紅白の鮮やかな花
が目に入り、香るようだ。近づく春
は、別れと出会いの季節。学校で職
場で友との別れを惜しんでいる時期
ではないだろうか◆「友情」と口にすると
青臭い感じもするが、この二人の関係はこ
れ以外にどんな言葉が当てはまるのだろう
と思ってしまう。作家、陳舜臣さんと司馬
遼太郎さんである◆陳さんが1941年に
大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)
に、司馬さんは翌42年に入学している。卒
業後、それぞれ違う道を歩み始めたように
見えたが、引き付け合うように歴史を舞
台にした小説家へ◆「対談中国を考える」
(文春文庫)で陳さんは「司馬氏は善(よ)く歌
う者であり、私は彼の歌の勢いにのってい
ささか声を継ぐことができた・・・」と対談の
成果を語っていた◆神戸華僑歴史博物館で
開催中の特別展では、東京への転居を考え
る陳さんに、司馬さんが「神戸、関西から
離れるのは賛成できないなぁー」と語った
と紹介されている◆きょう18日は陳さんの
100回目の誕生日。天上で杯をくみ交わ
し、紫煙をくゆらせるー。そんな空想が膨
らむ。2人の命日は桃源忌、菜の花忌と呼
ばれる。色鮮やかな桃に、一面に広がる菜
の花。春が似合う二人である。2024・2・18

神戸新聞、正平調書き写し

文豪森鷗外は1922(大正11)年
7月9日、60歳で命を終えた。その
3日前、東京大学医学部以来の親友
賀古鶴所(かこつるど)を呼ぶと、遺言を書き取ら
せた。〈余ハ石見(いわみ)人「森林太郎」トシテ
死セント欲ス〉◆石見国(島根県)津和野
に生まれ、ドイツに留学し、陸軍軍医総監
に上り詰め、日本近代文学の礎を築いた
その人が世を去るに当たって望んだのが、
先の一文である◆遺言に従い、墓には文名
も位階勲等もなく、「森林太郎墓」とだけ
彫られている。亡くなるときはただ一人、
生まれた時の人間としてー。そうした祈り
にも似た思いに触れるからか、切々と胸に
迫るものがある◆名前とは、最後に残る、
自分がこの世にあった証にほかならない
のだろう。それは、この男にとっても同じ
だったのか。連続企業爆破事件で指名手配
され、約半世紀も逃亡を続けていた霧島総
容疑者のことだ◆ひっそりと「内田洋」と
して生きてきた男は、末期がんで死亡する
4日前、「最期は本名で迎えたい」と霧島
を名乗った。DNA型鑑定でも本人の可能
性は高いという◆鷗外が言うように「死ハ
一切ヲ打チ切ル重大事件」である。告白は
罪責感の故だと思いたい。であれば、彼に
はほかにも語るべきことがあった。過去の
過ちも語らねばならなかった, 2024・2・15

神戸新聞、正平調書き写し

ロンドン南部のまちで昨年暮れ、道
路標識が盗まれた。一時停止を求め
る「STOP 」の表示に軍事用のド
ローン3機が描かれていた。正体不
明の芸術家、バンクシーの最新作で、
ある◆犯人は逮捕され、作品は行方不明の
ままだが、パレスチナやウクライナで激し
い砲撃が続くなか、反戦を訴えるメッセー
ジがより世界に広がったのだから不思議な
人だ◆そのバンクシーが昨年2月14日のバ
レンタインデーに発表した作品がある。エ
プロン姿の女性が冷蔵庫を倒し男を閉じ
込めている。英国メディアによると、女性
への暴力と闘う1950年代の専業主婦ら
しい◆愛を伝え合う日になぜと疑問に思う
が、そこがバンクシーならではの風刺なの
だろう。勝手ながら解釈すると、バレンタ
インで互いに愛を告白できるようになった
のは、女性の長い闘いの歴史があったから
だと◆時代は進んで、思いを寄せる男性に
女性が贈っていた日本のバレンタイン文化
は「義理チョコ」「家族チョコ」「友チョ
コ」と多様化した。「今年ももらえなかっ
た」と惨めな時代をすごした身にはありが
たい◆ところで、わが家の冷蔵庫の奥の方
に数日前から高価そうなチョコレートの小
箱がある。私は確信している。これは妻の
「自分チョコ」に違いないと。 2024・2・14

ちょっとわがコラム↑の記事でココ↓

私は確信している。これは妻の「自分チョコ」に違いないと。

ふむふむ、経験あり、旦那に贈るふりして隠れて食べちゃう(笑)

神戸新聞、正平調書き写し

「新聞は、言葉の妙を結集させた文
章という内面と、薄く粗い紙という
素朴な外面を併せ持つ愛すべき存在
である」。記者にとってこんなにう
れしい読者の言葉はそうない。まし
てや、あまり新聞を読まないとされる高校
生の声ならなおさらだ◆新聞を題材にエッ
セーを書いたのは、姫路西高校1年の百瀬
泉里(せんり)さん。館長の名を冠した姫路文学館の
「第9回藤原正彦エッセイコンクール」で
高校生部門の最優秀賞に輝いた◆エッセー
では「紙の少しざらりとした手触り」「新
たな視点や価値観を得られる社会面」など
と魅力を挙げ、ネット空間や現実世界から
離れ、静かで穏やかな言葉の海に溺れられ
る新聞に癒されている、と結ぶ◆表彰式
で藤原正彦館長は「言葉の感覚がいい。評
論家になれそうだ。将来が楽しみ」と講評
した◆ぜひ会って話したくなり、学校を訪
ねた。百瀬さんは「ネット見ると、興味
に合わせたニュースが出てくる。楽しいけ
れど、私はいろんな記事や知らないことを
読みたい」と人なつっこく笑う◆「裏付け
を持つ、事実である情報を得たい。記者が
責任をもって書く、顔の見える記事を」。
期待とエールに、身が引き締まる。思いに
応えられる新聞であり続けたい。彼女がお
ばあちゃんになるころまでも。 2024・2・12

神戸新聞、正平調書き写し

見送りはたったの3人だった。19
59年2月、神戸港から一人の若者
が貨物船に乗り、ヨーロッパを目指
した。23歳。若き日の小澤征爾さん
である◆日本の敗戦から14年後。お
金もない。語学力もない、コネもない。あ
るのはあり余る若さと時間、音楽への情熱
だけだった。スクーターに日の丸を立て、
各地を気ままに走る「棒振り修行」はこう
して始まった◆小澤さんらしいエピソード
を一つ。国際的な指揮者のコンクールがあ
ると知り、慌てて応募するが締め切りに間
に合わなかった。だが、簡単にはあきらめ
ない。アメリカ大使館に駆け込むと、必死
に頼み込んだ◆「お前はいい指揮者か、悪
い指揮者か」と問われ、こう答えている。
「自分はいい指揮者になるだろう」。アメ
リカ大使館の便宜で門戸は開かれ、若手指
揮者の登竜門ブザンソン国際指揮者コンク
ールで優勝してしまう(「ぼくの音楽武者
修行」より)◆その後の快進撃はだれもが
知る通り。「世界のオザワ」への道を切り
開いたのは才能と努力に加え底抜けの明
るさと度胸、人間の魅力だったろう◆後進
の指導にも情熱を注ぎ、「殻を破って外に
でるエネルギーが必要」と語った小澤さん
の訃報が世界をめぐった。さんさんと輝く
太陽が消えたようで、寂しい。2024・2・11

神戸新聞、正平調書き写し

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この国は「贈答社会」と言われる。
ならば贈り物の達人や名人がもっと
いてもよさそうなのに、あまりいな
いのはなぜ?と書いたのは、コラム
ニストの天野裕吉さん◆いわく、虚
礼的なものが多く、自分で考えないですむ
物ばかり贈っているから。もっと知恵をし
ぼろうよ。キャッチフレーズはこう。「で
いい」より「がいい」。ハムでいい、じゃ
なく、ハムがいい◆よく新聞の発言欄など
で「恩送り」という言葉を見かける。自分
が受けた恩を社会や次の世代に返して、送
りつないでいく。恩や親切のお裾分けのよ
うにも思える。「恩贈り」と書いてもいい
かもしれない◆被災地でボランティア活動
という人もいれば、地域の子ども食堂にカ
ンパしたり、手伝ったりという人もいる。
先月、神戸新聞の丹波版で読んだのは「足
ながシネマ」。チケット代を先払いして映
画館に預け、子どもたちに映画を見る機会
をプレゼント◆私は温かい食事がいい、私
は面白い映画がいい。いずれも送りての大
人が子供たちのことを考えた贈り物だ。
お返しは楽しい思い出とともに、次の世代
へ送ってくれたらいいよ◆親切をすれば脳
が活性化され、老化を遅らせるという記事
を読む。それはさておき、贈り物の達人や
名人がそこにも、ここにも  2024・2・10

diarypro復活

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本日やっとこさこの日記帳復活させることが出来ました。
しっかり鍵マーク付いてる超カワイイ!!(笑)