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神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月15日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 敗戦を経て民主国家へ ◆
廣川 恵一 87歳(無職  神戸市北区)

 終戦の前年、神戸から山口県東部
の周防大島北岸の集落へ、小学2年
生の夏移住した。島とはいえ、南の
豊後水道と50㌔北の広島市や軍港の
呉市を結ぶ位置にあり、日夜サイレ
ンの音におびえていた。
 翌年になると授業がほとんどなく
なり、繊維となる桑や葛の皮むき、
出征農家の手伝い、畑と化した校庭
の作物への水やりなど、勤労奉仕は
茶飯事となっていたが、戦況は悪化
の一途をたどり、本土決戦に備え、
子供だましの竹やり訓練や防火訓
練に汗を流す日が続いた。
 あの日の朝、B29が北上。程なく
広島の上空が薄暗くなり、ラジオが
「広島に新型爆弾投下」と報じた。
世界初の原爆投下である。間もなく
日本はポツダム宣言を受け入れ、戦
争は終わった。民主主義や民主化な
どの言葉が頻繫に使われるようにな
り、新生日本が歩み始めた。

神戸新聞、正平調書き写し

地球儀をくるくる回せば、北極に最
も近いところに北海道より大きいぐ
らいの島国が見つかる。その名の通
り氷の国、アイスランドである。想
像するだけで凍えそうな国が「トマ
ト大国」と聞けば、だれもが意外に思うだ
ろう◆それを可能にしているのは地熱。大
地の裂け目からわきあがるマグマがこの国
最大の資源だ。人々の電力になり、農業を
支え、ビニールハウスで生産するトマトの
自給率は9割。世界から人を呼ぶ観光にも
なる◆首都レイキャビクからほど近い半島
で大噴火が起きたのは昨年12月。溶岩流が
市街地を襲い、4千人近い住民が長期間避
難した。それでも火山活動の検知と安全対
策を徹底することで観光客は1割増えたそ
うだ◆遠く離れた北欧にありながら、日本
とは深い縁がある。「火山の国」であるこ
とだ◆大陸が少しずつ動いているのを発見
したのは「大陸移動説」を唱えたウェゲナ
ーだが、二つのプレートが地球の中心から
わき起こる起点がアイスランドであり、再
び地球の深部に潜り込む終着点が、日本で
ある◆だから地震も噴火もよく起こる。今
月26日は国が初めて制定した「火山防災の
日」だった。地震に比べて国民の警戒感が
うすいことへの国の危機意識がある。まず
はアイスランドを見習いたい。 2024・8・28

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月15日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ トラウマをもたらす戦争 ◆
金子 智昭 71歳(アルバイト 丹波市)

 私がまだ幼い頃、家族で
海水浴に行っても、父は一
切海に入らなかった。
 子供心に、父は泳げな
いのだと思っていたが、実
は、戦争中に空襲で船が沈
没し、何時間も泳いでいた
という。
 その時の思いと、戦争の
悲惨さを、亡くなる前に話
してくれた。
 戦争のために、父だけで
なく、多くの人がいろんな
トラウマを抱えて、一度の
人生を歩んでこられたと思
うと悲しくなる。
 ロシアのウクライナ侵攻
から2年半が過ぎても、な
お収束の兆しはなく、今後
も予測できない。
 そんな戦争は国民の不安
と国の破局を招く。
 すべての人は平等に生き
る権利があるのに命を落と
す多くの人がいる。
 どの国も戦争という過ち
を二度と繰り返さないこと
を、切に願っている。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月14日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画

タイトル ◆ひもじかった思いとともに◆
大谷 茂 78歳 (無職 姫路市)

 昭和21年、豊岡市日高町
の山あいの農家に生まれた
私は戦争を知りません。記
憶は6歳の頃からです。村
立幼稚園1期生。衣食住の
つらさが家族や地域に染み
ていました。衣は繕い物ば
かり。明かりはなく、川水
とまきで炊き物。わら屋根
で隙間だらけの部屋。
 食事は、空腹の虫を抑え
たい欲求のみ。主食の米は
供出制度のため、残された
分では足りず、大麦で補充
し、なおかさ上げのため芋
類を入れたご飯。副食はな
く「すきっぱらにまずい物
なし」が母の口癖でした。
 近くの山から切り取った
細竹を釣りざおに、ミミズを
餌に釣り上げた川魚を、ご
ちそうだと母は喜んでくれ
ました。直接戦争体験のな
い私には、戦後数年たった
頃からの記憶に残る日々の
ひもじかった思いが、終戦
の傷跡と感じます。そして
たくさんの自然からの恵み
があればこそ。人もまた自
然界の一部なのですねえ。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月14日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画

タイトル ◆祖母の悲痛な叫びに思う◆
菅 せつみ 81歳 (主婦 姫路市)
 父方の叔父は、1945
年、フイリピン・ルソン島
の戦いで、23歳で命を落と
したと生前の父から聞きま
した。父も、もう一人の叔
父も戦争に行きましたが、
無事帰還しました。
 無事帰還した叔父に対し
て、母親である祖母が「な
んで帰って来たんや」とと
がめたそうです。跡取りだ
った父はおとがめなしだっ
たそうです。貧しい小農家
で家族が9人もいたので、
食いぶちが1人でも少ない
方が家計が助かるというわ
けです。到底祖母の本心で
はなく、夫を早く亡くし、
働き手の息子3人を戦争に
取られ、9人家族の長とし
て頑張っていた祖母の悲痛
な叫びでであったと理解して
います。すべて戦争のせい
なのです。
 ロシアやウクライナ、イ
スラエルやパレスチナの紛
争は、一日も早い終結を祈
るばかりです。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月14日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆戦争のない世の中に◆
 奥田 千春 84歳 (主婦 加古川市)
 終戦から今年は79年目。私の父は
終戦後、シベリアに5年余り抑留さ
れ、60㌔あった体重が38㌔に減り、
それでも、昭和25年秋に帰ってきて
くれました。
 今も世界の至るところで戦争が起
きていて、たくさんの尊い命が失わ
れています。世界中の人たちが声を
あげて、話し合って、戦争を止める
ことはできないのか。この私たちの
地球は少しずつ衰えてきています。
こんな世の中なのだから皆で分けあって
助けあって、平和に暮らすこと
は難しいことなのでしょうか.
 私には男の子の孫が2人います。
戦争になって戦地に駆り出されるよ
うなことがないよう、強く願ってい
ます。
 世界の偉い人達よ、どうか英知
を力のかぎり出し合って戦争のない
世の中にしてください。

神戸新聞、正平調書き写し 末尾にチョット我がコラム 

9回特攻に出撃して、9回とも生き
て帰ってきた人がいる。「体当たり
しろ」「必ず死んで来い!」。そう
命令する上官にあらがい、敵艦に爆
弾を落として帰還した。佐々木友次(ともじ)
さん、当時21歳◆特攻とは飛行機ごと、あ
るいは人間魚雷となって敵に突撃する決死
の攻撃のこと。なのになぜ、そんなことが
できたのか。上官や周囲は何と言ったか。
だれもが抱く疑問に迫ったのが作家の鴻上
尚史さんである◆佐々木さんは、陸軍の最
初の特攻隊「万朶(ばんだ)隊」に選ばれた名パイ
ロットだった。2017年に出版された「不
死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗した
か」(講談社現代新書)に印象的なやりと
りが書いてある◆技術の高いパイロットほ
ど一撃一死の特攻は無駄だと考えていた。
万朶隊の隊長自身がそうだったと文献や証
言で明らかにしている。佐々木さんは言っ
た。「死ななくてもいいと思います。その
代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を
命中させます」◆そして終戦。すでに特攻
で散ったとされ、実家の北海道で盛大な葬
儀も済んでいた佐々木さんは、ひっそりと
92歳まで生きた◆79回目の終戦の日が巡り
来た。死を命じられてなお自分を貫いた人
がいる。国家とは、個人とは、佐々木さん
から学ぶことはあまりにも多い。2024.8.15

ちょっと我がコラム
この記事、涙なくして読めない、戦争現場のむごたらしさ、国の政策、上下関係、肉親関係、周囲との交わり、自身の判断力も想定しながらいかに生きるか?・・・本当に戦争って駄目駄目駄目XXXXX