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神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月16日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 子や孫にどう伝えるか ◆
 加古 久美子 68歳(主婦 神戸市西区)

 戦争と戦後生まれの私とを結ぶ接
点は、亡き母と何度も参加した「陸
軍歩兵部隊合同慰霊祭」でした。
 学徒動員で招集された父は激戦の
ビルマ(現ミヤンマー)に派兵され
ました。終戦になり、過酷な引き揚
げ船では「梅肉エキス」をわずかず
つ口に含み、生還したそうです。
 父は、異国の山野で戦死した戦友
たちの供養のため、毎年慰霊祭に参
加しましたが、私が14歳の時に病気
で亡くなりました。父の御霊(みたま)も慰霊
者名簿に合祀(ごうし)してくださいました。
 母は「悲惨なことは思い出したく
ない」と戦争についてあまり話して
くれませんでしたが、住んでいた明
石の街にも焼夷(しようい)弾が落とされ、疎
開先の神戸市西区でヤギや鶏を飼っ
て食料の足しにしていたことなどは
聞いたことがあります。戦争につい
て子や孫の世代にどう伝えていけば
よいのか悩むところです。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月17日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 引き上げてよく生き延びた  ◆
 田中 栄一 90歳(自営業 西宮市)

 私は終戦時、満州国奉天
市で国民学校6年生。住民
やロシア兵の昼夜を問わな
い略称や暴動のため、危険
だからと家へ閉じこもりの
状態が何か月か続き、明く
る年の3月、私たちにも形
ばかりの卒業式がやって来
た。七十余人いた同級生で
集まったのは12~13人と少
なく、受け持ちの先生から
ガリ版刷りの卒業証書が渡
された。涙まじりに先生が
言われた「どんな時でも、
どんなことがあっても、日
本人としての誇りを忘れる
な」の言葉が、卒業生に贈
られたはなむけだった。
 その年の6月初め、南満
のコロ島という港から引き
揚げ船で博多港に上陸。故
国の土が踏めた。博多駅前
でその時、引き揚げ援護会
のおばさんから、大きなか
やくご飯のおむすびをいた
だいた。船の中では重湯の
ような食事だったので、と
てもおいしかったのを今で
も忘れられない。家族6人、
家もお金もないのをよく生
き延びたと今思うと感無量
だ。まわりの人々のおかげ
だと感謝している。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月16日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 玉音放送にかすかな安堵感 ◆
 中島 英雄 91歳(無職 神戸市灘区)

 小学校6年生の夏、疎開
先の農家の一間に家族全員
が集まり、静かにその時を
待った。正午になってラジ
オから天皇陛下の声が聞こ
えてきた。文語調でよく理
解できなかったが、何とな
く戦争が終わったことだけ
は感じ取れた。放送後、両
親にそのことを確認した私
の心に広がったのは、かす
かな安堵(あんど)感だった。
 それまでは「国のため」
の教育を受け「欲しがりま
せん、勝つまでは」と日の
丸に神風と書いた鉢巻きを
して通学した日々だった。
その後ガダルカナル島の敗
戦、ミッドウェー海戦の惨
敗など、戦局が不利になる
につれ、本土決戦が叫ばれて
る中、次第に募る不安な日
々。それらが一瞬にして消
え去っていく思いが子ども
心をよぎったのだろう。
 やっと「平和」の意味を
実感したのは、もっと後に
なってからのことである。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月16日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 決して忘れてはならない日 ◆
 森 美智子 88歳(無職 神河町)
 現在ではあの戦争があっ
たことなど全く知らない世
代が多くなりました。知る
のは老齢者のみといえまし
ょう。
 私は当時小学4年生ごろ
でしたが、終戦当時のこと
を覚えていて今でもよく思
い出すのです。その一つが
何といっても食糧難だった
ことです。両親はよく農家
へ買い出しに行っていまし
た。物々交換だったので、
母の着物はたんすから消え
ていきました。
 今は亡き妹は「カボチャ
は毎日食べさせられたので
大嫌いだ」とよく話してい
ました。当時はサツマイモ
やカボチャがお米の代用食
でした。
 私は当時のひもじさを知
っているので、今でも質素
倹約がモットーです。もっ
たいない精神は生き続けて
います。今、日本は戦争の
ない平和で豊かな暮らしの
中で、人々はぜいたくに暮
らせています。
 戦争は残酷で、何の取り
えも無いのです。どこの国
も戦争だけはしないでほし
い。「終戦の日」は決して
忘れてはならない日です。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月15日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 先人に恥じない生き方を ◆
平島 美由紀 56歳(主婦  明石市)

 夫が今年は7月に入っ
て早めの夏休みを取りまし
た。念願だった鹿児島旅行
に、夫と私の実家の母との
3人で出かけました。鹿児
島は母の里ですが、今回初
めて、知覧特攻平和会館を
訪れました。
 戦争のいたましさを伝え
る一つ一つの展示物を見て
回るにつれ、色あせ、年月
を感じさせはするものの、
そう遠い前の時代の出来事
ではないのだ、との思いを
強くしました。少なくとも
85歳の母にとっては、幼く
て当時の記憶は薄いものの
自分の生きた時代にその戦
禍はあったのですから。
 片道の燃料で飛び立った
特攻隊員の方々が命をかけ
て守らんとした日本です。
 今、私たちは戦って散っ
ていかれた先人に恥じない
生き方をしているか自問自
答してみます。世の中の変
化はありますが、日本人の
文化や心を決して失わず、
次世代につないでいくのが
責務だと感じています。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月15日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 敗戦を経て民主国家へ ◆
廣川 恵一 87歳(無職  神戸市北区)

 終戦の前年、神戸から山口県東部
の周防大島北岸の集落へ、小学2年
生の夏移住した。島とはいえ、南の
豊後水道と50㌔北の広島市や軍港の
呉市を結ぶ位置にあり、日夜サイレ
ンの音におびえていた。
 翌年になると授業がほとんどなく
なり、繊維となる桑や葛の皮むき、
出征農家の手伝い、畑と化した校庭
の作物への水やりなど、勤労奉仕は
茶飯事となっていたが、戦況は悪化
の一途をたどり、本土決戦に備え、
子供だましの竹やり訓練や防火訓
練に汗を流す日が続いた。
 あの日の朝、B29が北上。程なく
広島の上空が薄暗くなり、ラジオが
「広島に新型爆弾投下」と報じた。
世界初の原爆投下である。間もなく
日本はポツダム宣言を受け入れ、戦
争は終わった。民主主義や民主化な
どの言葉が頻繫に使われるようにな
り、新生日本が歩み始めた。

神戸新聞、正平調書き写し

地球儀をくるくる回せば、北極に最
も近いところに北海道より大きいぐ
らいの島国が見つかる。その名の通
り氷の国、アイスランドである。想
像するだけで凍えそうな国が「トマ
ト大国」と聞けば、だれもが意外に思うだ
ろう◆それを可能にしているのは地熱。大
地の裂け目からわきあがるマグマがこの国
最大の資源だ。人々の電力になり、農業を
支え、ビニールハウスで生産するトマトの
自給率は9割。世界から人を呼ぶ観光にも
なる◆首都レイキャビクからほど近い半島
で大噴火が起きたのは昨年12月。溶岩流が
市街地を襲い、4千人近い住民が長期間避
難した。それでも火山活動の検知と安全対
策を徹底することで観光客は1割増えたそ
うだ◆遠く離れた北欧にありながら、日本
とは深い縁がある。「火山の国」であるこ
とだ◆大陸が少しずつ動いているのを発見
したのは「大陸移動説」を唱えたウェゲナ
ーだが、二つのプレートが地球の中心から
わき起こる起点がアイスランドであり、再
び地球の深部に潜り込む終着点が、日本で
ある◆だから地震も噴火もよく起こる。今
月26日は国が初めて制定した「火山防災の
日」だった。地震に比べて国民の警戒感が
うすいことへの国の危機意識がある。まず
はアイスランドを見習いたい。 2024・8・28