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神戸新聞、コラム正平調書き写し

昭和の高度成長期、中学を卒業
した「金の卵」たちが就職のため各
地から都市部へと向かった。記録に
よると、どの生徒もかばんに中学の
卒業文集と寄せ書きを入れていたと
いう東京五輪を前に大ヒットしたこの曲
のタイトルも、きっと文集や寄せ書きにあ
っただろう。「いつでも夢を」。親しみや
すいメロディーに乗り、孤独や悲しみにそ
っと寄り添う歌詞が心に広がる◆♪星より
ひそかに 雨よりやさしくーと歌い出すの
は当時19歳の橋幸夫さん、やがて吉永小百
合さんが加わり、若者らしい誠実な歌声で
「いつでも夢を」と聞き手の背中を押す。
まさに、国民的ヒット曲◆2人とも多忙で
歌は別々に収録、年末のレコード大賞で初
めて一緒に歌ったそうだ。先週届いた橋さ
んの訃報に、吉永さんはこうコメントを寄
せた。「2人で歌った『いつでも夢を』は
私の宝物です」◆「御三家」の一人でもあ
る橋さんは17歳の時に「潮来笠」(いたこがさ)でデビュ
ーするや、4年間で50曲以上のシングルを
出す超売れっ子歌手に。股旅ものにロック
調、しっとりとした恋の歌。なんでも歌い
こなす昭和歌謡の伝道師だった◆人気絶頂
の頃「人としての清潔さを心がけたい」と
語っている。享年82。誠実さと清潔さをま
とい続けた大スターが逝った。2025・9・10

神戸新聞、正平調書き写し

少年はその夜、電車で大阪に出た。
何年ぶりだろう、灯火管制は解かれ
空襲で焼けた街に明かりがともって
いる。「おれは生き残ったんだ」。
そのとき16歳。宝塚に暮らしたのち
の漫画家、手塚治虫が記憶する終戦の日で
ある◆神戸生まれの作家、横溝正史は終戦
の報にふれ、心で叫んだという。「さあ、
これからだ」。朝来市出身の俳優、志村喬(たかし)
もよく似た思いを語っている。自由の時代
がやってくる、おもしろい仕事ができそう
だと◆作家の田辺聖子さんは17歳。8月15
日の日記に「何事ぞ!」と書いた。「何の
為に我々は家を焼かれたか。傷つき、そし
て死んだか」。養父市出身の作家、山田風
太郎は「炎天 帝国ツイニ敵ニ屈ス」と記
した◆神戸空襲で孤児になった作家、野坂
昭如さんは14歳にして思った。もう「死な
なくていい」。が、すぐに妹を飢えで亡く
す。漫画家の水木しげるさんはラバウルに
出征していた。23歳。爆撃で左腕を失って
いた◆落語家の桂米朝さんは19歳。姫路の
連隊で病を患い、病院に送られた。自伝に
「私には軍隊の話をする資格はない」。の
ちにこう詠んだ。〈風鈴も鳴らず八月十五
日〉◆生きて終戦を迎えた命あれば、平和
を知らず逝った多くの命があった。きょう
80年。語り継がねばならない。2025・8・15

神戸新聞、コラム正平調書き写し 

漫談家の徳川夢声が80年前の日記に
記している。「空襲の夢は今年にな
って一度ぐらいしか見ない」。19
45(昭和20)年7月1日の記述で
ある(「夢声戦争日記 抄」中公文
庫)◆時は太平洋戦争の末期で、米爆撃機
による本土空襲は苛烈を極めていた。日記
にも「B29」や「警報」の文字が間断なく
出てくる。空襲とは現実の恐怖であって、
夢にうなされる間さえなかったのかもしれ
ない◆80年後を生きるわれわれは、同じ年
の8月15日に「あの戦争」が日本の敗戦で
終わることを知っている。80年前を生きた
人たちは「この戦争」の行く末をまだ知ら
ない。敵機におびえ、日々の食にも困って
いる◆あとどれだけ続くのか。その長さは
永遠にも感じられたに違いない。食の足し
にと庭で南瓜(なんきん)を育てた夢声も、不安な胸の
内を歌にしている。〈逞(たくま)しき南瓜の苗と
見つ➢思ふ/南瓜成るまで吾(わ)が家のありや
と〉◆今年もきょうから7月。早くに梅雨
も明けた。「時のたつのは早いもので」と
毎年同じ口上を述べていられるのは、幸せ
なことなのだろう。あの長い長い戦争を身
をもって知る人の体験に触れるたび、そう
思う◆夢声は菊菜(きくな)も育てていた。〈梅雨あ
けの朝昼晩と菊菜かな〉。過去を見つめ直
す戦後80年の夏が巡って来た。2025・7・1

神戸新聞、コラム正平調書き写し 

誰もが、その言葉を交わすだけで満
ち足りた気持ちになれる。ハワイ語
のあいさつ「アロハ」には、多くの
意味があるという。愛、思いやり、
哀れみ―。語源は「アロ」(顏、
存在)と「ハ」(呼吸)。互いの額を重ね
て息を感じ、生命の喜びを分かちあったと
いう古代ポリネシア人の精神を今に受け継
ぐ◆中米ラテンの国、コスタリカのあいさ
つは、「純粋な人生」を意味する「プーラ
ビーダ」。1956年に公開され、大ヒッ
トした同名のメキシコ映画に由来するとい
う◆英語の「ハロー」は、猟犬への掛け声
から転じたらしい。西部開拓時代、遠くに
いる人を呼ぶときに使われ、一説にはエジ
ソンが電話の応答に用いて定着したとされ
る◆もっとも基本的なコミュニケーション
にどんな言葉を選んでいるか。あいさつと
は民族の歴史であり、文化である。生活で
あり、風土であり、思想であり、流儀であ
る◆日本語の「こんにちは」は、今日(こんにち)は云(うん)
々(ぬん)・・・と喋(しゃべ)っていたのを略したらしい。こん
にちは。あなたとわたし、きょうはどんな
日◆切なる願いでもあるだろう。ミサイル
を撃ち合うイランとイスラエルのあいさつ
は、イランで「サラーム」、イスラエルで
「シャローム」と言う。語源は同じ。意味
するところは「平和」である。2025・6・22

神戸新聞、コラム正平調書き写し 末尾に我がコラム

電車内を見渡せば、多くの人が手の
ひらのスマートフォンに視線を落と
す。メールをやりとりし、ゲームや
通信アプリなどに興じる。画面上で
指先を動かすのに忙しい◆姫路から
神戸の貿易会社に向かう電車で、後にファ
ッションデザイナーとなる高田賢三さんは
車内広告に目を奪われた。1957年、女
子学生しか受け入れなかった東京の文化服
装学院が、男子を募集するとの内容だった
からだ◆姉2人と少女雑誌を愛読し、洋服
を仕立てる母親のもとで育った。洋服学校
への進学を志したが、父親の反対で断念。
その後、神戸市外国語大の夜間部に通いな
がら昼間に働いて資金をため、19歳で同学
院に入学した◆姫路市立美術館で7月21日
まで開催中の「高田賢三展」を鑑賞し、生
い立ちやパリでの活動歴に触れた。浴衣な
どに使われる木綿をおしゃれ着に活用した
先駆者で「木綿の詩人」と称された◆かつ
て播州平野では木綿の栽培が盛んで、江戸
に送る綿布は姫路に集まった。明治以降は
紡績工場が集積し、生家近くには衣料品店
も多く立ち並んだ◆高田少年は、母親の人
脈で近所の店に布の端切れをもらいに訪れ
たという。綿花の花言葉は「母の愛」。洋
裁好きの母に育まれた感覚は、終生の活動
拠点にした花の都で花開いた。2025・5・25

ちょっと我がコラム
毎朝、楽しみに読んでるこのコラム、木綿の事が書かれてたので私の母の実家を思い出した、昔、近所の方たちも一緒に綿の栽培をしてた、私が小さい頃遊びに行き、天井を見上げると大きな農業用の箕(ミ)に「久」の文字が書かれ飾ってあった、その家は「綿久さん」と近隣から慕われてたらしい、地域は加古川で大方の農家が綿を栽培してたと聞いてた事、母との会話を久々に思い出し懐かしんだ。

神戸新聞、コラム正平調書き写し

「正義は或(あ)る日突然逆転する。正義
は信じがたい」。終戦の体験でそう
骨身に染みたと、漫画家のやなせた
かしさんは自伝に書く。朝の NHK
連続テレビ小説「あんぱん」のセリ
フでも登場した◆戦後、やなせさんは考え
た。「逆転しない正義とは何か」。導き出
されたのは「献身と愛」。大げさなもので
なく、飢えた人がいれば一片のパンを差し
出すような。これが「アンパンマン」の原
点となる◆正義を振りかざす指導者によっ
て戦禍が広がる世界に、バチカンから平和
のメッセージが発せられた。「謙虚で忍耐
強い、武器のない平和、武器を取り除く平
和を」。鳴り響く鐘の音とともに◆大聖堂
に姿を現した新ローマ教皇レオ14世の演説
である。和約によると平和という言葉を合
わせて10回、唱えている、紛争解決に向け
て、対話の橋渡し役を務める決意を見る思
いだ◆その様子を伝える記事のそばに「正
義」の二文字が。「正義と公正はわれわれ
の側に」。第2次大戦の対ドイツ戦勝80年
の式典で、ロシアのプーチン大統領が唱え
た。軍事パレードをともなう光景は平和か
ら遠い◆新教皇が長年活動し、国籍も得た
南米ペルーの人々の親愛の言葉から。「彼
は長靴を履いて泥の中を進むような人」。
献身と愛の人、と受け取る。 2025・5・13

神戸新聞、コラム正平調書き写し

江戸時代の僧侶、良寛の詩に〈花、
無心にして蝶(ちょう)を招き/蝶、無心にし
て花を尋ぬ〉がある。蝶を人に置き
換えて読んでも、意味は通る。花は
人に見られるために咲くわけではな
いが、それでも人は不思議と花に引き寄せ
られる◆「見頃」の見出しに引き寄せられ
て、連休中の本紙地域版をめくった。ツツ
ジ、アヤメ、フジ、シャクナゲ…。公園の
花、お寺の花。鮮やかな花あれば、かれん
な花も負けじと休日の紙面に色を添えてい
た◆新しい友人、新しい仕事と心せわしい
春が過ぎて、暦の上ではもう夏という。疲
れた羽をしばし休ませてくれる花のように
カレンダーを彩っていた大型連休も終わっ
た◆きのう、まちを歩く人の足取りが気だ
るそうに見えたのはこちらの気のせいとも
思えない。おっくうな通学、通勤の道中、
前日の雨に洗われてきらりと光る草花にち
ょっぴり力をもらったという人もあるだろ
う◆〈よかったなあ  草や木が/どんなと
ころにも いてくれて/鳥や けものや
虫や 人/何が訪ねるのをでも/そこに動
かないで 待っていてくれて〉。まど・み
ちおさんの詩「よかったなあ」の一節にあ
る◆草木が一番人に優しいのはひょっとし
て、風薫る今の季節かもしれない。「よか
ったなあ」。朝の呪文とする。2025・5・8

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