漫談家の徳川夢声が80年前の日記に
記している。「空襲の夢は今年にな
って一度ぐらいしか見ない」。19
45(昭和20)年7月1日の記述で
ある(「夢声戦争日記 抄」中公文
庫)◆時は太平洋戦争の末期で、米爆撃機
による本土空襲は苛烈を極めていた。日記
にも「B29」や「警報」の文字が間断なく
出てくる。空襲とは現実の恐怖であって、
夢にうなされる間さえなかったのかもしれ
ない◆80年後を生きるわれわれは、同じ年
の8月15日に「あの戦争」が日本の敗戦で
終わることを知っている。80年前を生きた
人たちは「この戦争」の行く末をまだ知ら
ない。敵機におびえ、日々の食にも困って
いる◆あとどれだけ続くのか。その長さは
永遠にも感じられたに違いない。食の足し
にと庭で南瓜(なんきん)を育てた夢声も、不安な胸の
内を歌にしている。〈逞(たくま)しき南瓜の苗と
見つ➢思ふ/南瓜成るまで吾(わ)が家のありや
と〉◆今年もきょうから7月。早くに梅雨
も明けた。「時のたつのは早いもので」と
毎年同じ口上を述べていられるのは、幸せ
なことなのだろう。あの長い長い戦争を身
をもって知る人の体験に触れるたび、そう
思う◆夢声は菊菜(きくな)も育てていた。〈梅雨あ
けの朝昼晩と菊菜かな〉。過去を見つめ直
す戦後80年の夏が巡って来た。2025・7・1