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神戸新聞、正平調書き写し

少年はその夜、電車で大阪に出た。
何年ぶりだろう、灯火管制は解かれ
空襲で焼けた街に明かりがともって
いる。「おれは生き残ったんだ」。
そのとき16歳。宝塚に暮らしたのち
の漫画家、手塚治虫が記憶する終戦の日で
ある◆神戸生まれの作家、横溝正史は終戦
の報にふれ、心で叫んだという。「さあ、
これからだ」。朝来市出身の俳優、志村喬(たかし)
もよく似た思いを語っている。自由の時代
がやってくる、おもしろい仕事ができそう
だと◆作家の田辺聖子さんは17歳。8月15
日の日記に「何事ぞ!」と書いた。「何の
為に我々は家を焼かれたか。傷つき、そし
て死んだか」。養父市出身の作家、山田風
太郎は「炎天 帝国ツイニ敵ニ屈ス」と記
した◆神戸空襲で孤児になった作家、野坂
昭如さんは14歳にして思った。もう「死な
なくていい」。が、すぐに妹を飢えで亡く
す。漫画家の水木しげるさんはラバウルに
出征していた。23歳。爆撃で左腕を失って
いた◆落語家の桂米朝さんは19歳。姫路の
連隊で病を患い、病院に送られた。自伝に
「私には軍隊の話をする資格はない」。の
ちにこう詠んだ。〈風鈴も鳴らず八月十五
日〉◆生きて終戦を迎えた命あれば、平和
を知らず逝った多くの命があった。きょう
80年。語り継がねばならない。2025・8・15