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神戸新聞、コラム正平調書き写し

広島に原爆が投下された直後の様子
を女性が語っている。「私たちはあ
の時何も話さなかったんです」。友
人と過ごした最初の夜も、上空を米
軍機が飛ぶのを見上げたときも、無
言だった◆「焼け跡で父親に会った時も二
言三言話しただけで、あとは何も話さなか
った」。都市は一瞬で廃墟となり、救護所
にはうめき声が満ちた。そして、無傷の者
は黙り込んだ。話す気力さえ奪われていた
と(井上恭介著「ヒロシマー壁に残された
伝言」)◆被爆者が語り始めたのはずっと
後のことだ。日本被団協が結成されたのは
戦後11年目。「今日までだまって、うつむ
いて、わかれわかれに生き残ってきた私た
ちが、もうだまっておれないでてをつなぎ
立ち上がろうと集まった大会なのです」と
宣言した◆きのうノーベル平和賞の授賞式
がノルウェーの首都オスロであった。熱線
と爆風、放射線で死んだ広島と長崎の何十
万の人、今も原爆症に苦しみながら全国で
生きる人はどんな思いで受賞スピーチを聞
いたろう◆その会場に、高校生平和大使4
人の姿もあった。被爆者の声を世界に伝え
る活動をしている被爆3世や4世の若者た
ちである◆バトンを受け取る。「私たちを
最後に」と訴える体験者の願いをつなぐ。
それは、私たちにもできる。2024・12・11