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神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月17日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 防空壕と防空頭巾  ◆
 坂本 幸子 83歳(主婦 神戸市灘区)

 戦時中、母は私と昭和18年生まれ
の弟を連れて母の実家である岐阜県
へ疎開しました。私は幼くて戦争の
怖さを知らず、覚えているのは床下
に掘った防空壕(ごう)に避難したことと、
いつも防空頭巾をかぶっていたこと
くらいです。
 父は、岐阜県までの交通機関の利用が
かなわず。自転車で尼崎から岐阜ま
で往復したと母から聞きました。
 戦後、昭和20年生まれの妹をおん
ぶし、会社の社宅へ引越したのは
昭和21年の末でした。姉妹が4人に
なり、家族全員で暮らせることの喜
びを感じながら、父母は懸命に働い
てくれました。内職もいろいろ。た
ばこを巻く内職、カバヤのキャラメ
ルの箱詰めなど。また、社宅生活で
いちばんたのしかったのは盆おどり
で、やぐらの上で仮装して踊ったり
輪になって踊ったりしたことは今も
忘れられません。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月17日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 祖母の陰膳がよみがえる  ◆
 塩谷 和子 88歳(無職 三田市)
 
 昭和10年生まれの私は、
戦争を体験した年代です。
母には弟(叔父)がいて、
両親(祖父母)とともに町
方に住んでいました。息子
の大学卒業を目前に、多く
の夢を託した幸せな一時期
がありました。大手企業に
就職した大切な息子の元に
容赦のない召集令状が届き
ました。
 一転して「軍国の母」に
なった祖母は、年中4時起
床、武運を祈る氏神参りを
始めました。毎食の卓上に
飾った写真には家族と同じ
ものを「陰膳」として供え
続けました。顔の見えぬ息
子に愛情の全てをかけるこ
とが、自分自身の心の支え
になっていたのでしょう。
敗戦の日が過ぎ、外地から
の引き揚げが終了しても、
正式に広報を手にするまで
続け、はた目にも痛々しさ
を覚えたほどです。
私には遠い日の陰膳の記
憶がよみがえりました。、