記事一覧

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月16日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 玉音放送にかすかな安堵感 ◆
 中島 英雄 91歳(無職 神戸市灘区)

 小学校6年生の夏、疎開
先の農家の一間に家族全員
が集まり、静かにその時を
待った。正午になってラジ
オから天皇陛下の声が聞こ
えてきた。文語調でよく理
解できなかったが、何とな
く戦争が終わったことだけ
は感じ取れた。放送後、両
親にそのことを確認した私
の心に広がったのは、かす
かな安堵(あんど)感だった。
 それまでは「国のため」
の教育を受け「欲しがりま
せん、勝つまでは」と日の
丸に神風と書いた鉢巻きを
して通学した日々だった。
その後ガダルカナル島の敗
戦、ミッドウェー海戦の惨
敗など、戦局が不利になる
につれ、本土決戦が叫ばれて
る中、次第に募る不安な日
々。それらが一瞬にして消
え去っていく思いが子ども
心をよぎったのだろう。
 やっと「平和」の意味を
実感したのは、もっと後に
なってからのことである。

神戸新聞、オピニオン発言欄

!!終戦特集!! 8月16日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶり等を後世に伝える企画
タイトル ◆ 決して忘れてはならない日 ◆
 森 美智子 88歳(無職 神河町)
 現在ではあの戦争があっ
たことなど全く知らない世
代が多くなりました。知る
のは老齢者のみといえまし
ょう。
 私は当時小学4年生ごろ
でしたが、終戦当時のこと
を覚えていて今でもよく思
い出すのです。その一つが
何といっても食糧難だった
ことです。両親はよく農家
へ買い出しに行っていまし
た。物々交換だったので、
母の着物はたんすから消え
ていきました。
 今は亡き妹は「カボチャ
は毎日食べさせられたので
大嫌いだ」とよく話してい
ました。当時はサツマイモ
やカボチャがお米の代用食
でした。
 私は当時のひもじさを知
っているので、今でも質素
倹約がモットーです。もっ
たいない精神は生き続けて
います。今、日本は戦争の
ない平和で豊かな暮らしの
中で、人々はぜいたくに暮
らせています。
 戦争は残酷で、何の取り
えも無いのです。どこの国
も戦争だけはしないでほし
い。「終戦の日」は決して
忘れてはならない日です。