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神戸新聞、正平調書き写し

文豪森鷗外は1922(大正11)年
7月9日、60歳で命を終えた。その
3日前、東京大学医学部以来の親友
賀古鶴所(かこつるど)を呼ぶと、遺言を書き取ら
せた。〈余ハ石見(いわみ)人「森林太郎」トシテ
死セント欲ス〉◆石見国(島根県)津和野
に生まれ、ドイツに留学し、陸軍軍医総監
に上り詰め、日本近代文学の礎を築いた
その人が世を去るに当たって望んだのが、
先の一文である◆遺言に従い、墓には文名
も位階勲等もなく、「森林太郎墓」とだけ
彫られている。亡くなるときはただ一人、
生まれた時の人間としてー。そうした祈り
にも似た思いに触れるからか、切々と胸に
迫るものがある◆名前とは、最後に残る、
自分がこの世にあった証にほかならない
のだろう。それは、この男にとっても同じ
だったのか。連続企業爆破事件で指名手配
され、約半世紀も逃亡を続けていた霧島総
容疑者のことだ◆ひっそりと「内田洋」と
して生きてきた男は、末期がんで死亡する
4日前、「最期は本名で迎えたい」と霧島
を名乗った。DNA型鑑定でも本人の可能
性は高いという◆鷗外が言うように「死ハ
一切ヲ打チ切ル重大事件」である。告白は
罪責感の故だと思いたい。であれば、彼に
はほかにも語るべきことがあった。過去の
過ちも語らねばならなかった, 2024・2・15