記事一覧

神戸新聞、正平調書き写し

見送りはたったの3人だった。19
59年2月、神戸港から一人の若者
が貨物船に乗り、ヨーロッパを目指
した。23歳。若き日の小澤征爾さん
である◆日本の敗戦から14年後。お
金もない。語学力もない、コネもない。あ
るのはあり余る若さと時間、音楽への情熱
だけだった。スクーターに日の丸を立て、
各地を気ままに走る「棒振り修行」はこう
して始まった◆小澤さんらしいエピソード
を一つ。国際的な指揮者のコンクールがあ
ると知り、慌てて応募するが締め切りに間
に合わなかった。だが、簡単にはあきらめ
ない。アメリカ大使館に駆け込むと、必死
に頼み込んだ◆「お前はいい指揮者か、悪
い指揮者か」と問われ、こう答えている。
「自分はいい指揮者になるだろう」。アメ
リカ大使館の便宜で門戸は開かれ、若手指
揮者の登竜門ブザンソン国際指揮者コンク
ールで優勝してしまう(「ぼくの音楽武者
修行」より)◆その後の快進撃はだれもが
知る通り。「世界のオザワ」への道を切り
開いたのは才能と努力に加え底抜けの明
るさと度胸、人間の魅力だったろう◆後進
の指導にも情熱を注ぎ、「殻を破って外に
でるエネルギーが必要」と語った小澤さん
の訃報が世界をめぐった。さんさんと輝く
太陽が消えたようで、寂しい。2024・2・11