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神戸新聞、コラム正平調書き写し

あの大きな揺れに襲われたとき、パ
ンツ一枚で逃げ出した。阪神・淡路
大震災の朝、イチローさんは神戸市
西区にあったプロ野球オリックス・
ブルーウエーブの寮にいた。これは
ただ事ではない。初めて命の危機を感じた
という◆ドラフト4位の4年目、色白で風
変わりな打法の華奢(きゃしゃ)な青年ー。当時はそん
な印象だったイチローさんが米国で野球殿
堂入りを果たした。残念ながら満票とはな
らなかったものの、アジア人初の快挙であ
る◆長らく「気難しい職人」というイメー
ジだったが、震災10年を前にインタビュー
したとき、はじけるような明るさとサービ
ス精神、人なつっこさに驚かされた。そこ
で語ってくれた言葉は、神戸への愛着と励
まし◆「一番何かを感じて成長する時期に
神戸にいた。今ある僕の人格や考え方は、
ほとんど神戸で作られたもの」「神戸は第
二の故郷。行くのではなく、帰る場所」だ
と◆それは今も変わらないようだ。日本で
野球殿堂入りした先週の会見でも震災30年
に触れ、「神戸は今も特別な場所」と語っ
ていた◆数々の金字塔を打ち立てた後は、
高校球児の指導に駆け回る。永遠の野球少
年の姿を見ていると、あの至言が浮かぶ。
「小さいことの積み重ねが、とんでもない
ところにいく、ただ一つの道」2025・1・23