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 トレビmamaの仕事場&お遊び記録



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神戸新聞オピニオン発言欄 2024年08月13日(火)

  !!終戦特集!! 8月13日投稿文
子供の頃の戦争体験談や暮らしぶりとかを後世に伝える企画
タイトル ◆我慢する心はよかったのか◆
山下 久子 89歳(主婦 三木市)
 長崎に原爆が投下された
8月9日、私は10歳で小学
5年生だった。私の兄であ
る長男が兵隊となり、戦地
に行ったので、家に働き手
がいなくなって、私はよく
手伝いをさせられた。
 上の姉は女学生で、学徒
動員として軍需工場で働い
ていて、原爆で即死した。
しかし、この連絡がなく、
母は爆心地辺りを数日間探
し回り、水道管から流れて
た水を飲んだそうだ。数日
後調子が悪くなり、6か月
後、48歳で亡くなった。
食糧不足で、分けてもら
ったサツマイモをを1食に1
個だけとか、粉が手に入っ
たら「ダンゴ汁」にして食
べた。戦争に勝つまでは我
慢我慢の子ども心をどうと
らえたらよいのか。今にな
って思うに、この我慢する
心がよかったのか、手伝え
と言われて反抗したことは
なかったけれど、雨降りの
夜とか風がある夜に「風呂
の湯がぬるいから火をつけ
てこい」と言われ、外に出
てわらに火をつけ、まきを
燃やしていた時、泣きなが
らつい「お母さん」と心の
中で叫んでいた。

タイトル ◆理由が何であれ、戦争は嫌だ◆
田谷 則子 78歳 (洗張業 神戸市兵庫区)
 終戦後に生まれた私は、
以来、戦争というものを一
切知らずに過ごしてきまし
た。まもなく79歳を迎えま
す。
 たまたま先日、古い映画
「二百三高地」をDVDで
見ました。たとえ映画であ
っても、兵隊さんたちの過
酷さ、苦しさ、悲惨さは、
筆舌に尽くしがたいものが
ありました。
過去の日本の戦争もしか
り、今現在世界で起こって
いる戦争もしかり。上層部
の人間は、実践には出ず、
常に一般人が犠牲を強いら
れています。領土問題、宗
教問題と、その理由が何に
しろ、戦争とはいかにばか
げた行為でしょうか。人間
の欲の深さが根底にあるの
でしょうか・・・。
 戦争体験はゼロの私です
が、そんな体験はこれから
先もノーサンキューです。

タイトル ◆食糧不足の子が長寿に◆
塚本 勝 96歳 (無職 西宮市)
 戦後79年になりますが、戦時中一
番困ったことをはっきりと覚えてお
ります。それは食糧不足です。
 朝食は重湯。昼は小麦をそのまま
粉砕した粉で作る蒸しパン。夜は米
粒が数えられるほどのおかゆ。これ
がわが家の定番でした。
 父が自転車店を営んでいたので、
農家の方がお米を持ってきてくれる
ことがありました。お米に余裕がで
きても、頑固な父は、定番を変えま
せんでした。食べられる物は雑草で
も食べました。皆が栄養失調寸前の
状態でした。ある日、ぬかでパンを
作りました。まずい食事になれてい
るので食べられましたが、後で消化
が悪く胸のつかえに苦しんだのは今
でも忘れません。
 栄養失調寸前だった人たちが、今
の日本の長寿を延ばしているのが不
思議です。ばかな戦争が二度と起き
ないように祈る日々です。
 



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