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!!終戦特集!!8月12日分 子供の頃の戦争体験談や暮らしぶりとかを後世に伝える企画
タイトル ◆異様な空気を察知した夏の日◆ 金志 節子 85歳 (無職 加西市) ある夏の日、祖父と父が 民さんを迎えに家を出た。 私と祖母はバス停へ迎えに 行き、家では親戚の人が待 っていた。 白い箱は、神棚にまつっ てあった。私は民さん(叔 父・民治)を知らない。祖 父母の間に座った。祖父は 短冊のような白い紙を額に おしあて、深々と頭を下げ た。祖母も、父も、パタパ タと音をたてていたうちわ がピタッと止まった。 民さんは白い紙? 私は 異様な空気を察知して台所 に走った。母は無言で、大 鍋でそうめんをゆで、井戸 水で冷やしていた。数日後 民さんの遺影をみた。 月日が過ぎ、私は6年生 になった。サンフランシス コ平和条約調印の大きな活 字を新聞で見た日、受け持 ちの先生が「戦争はない。 君たちは戦争に行かなくて いい」と。家族が出征し戦 死したことは、当時名誉と たたえられたなどと熱っぽ く話された。先生もつらい 思い出があったのだろう。 長い沈黙を破って、私たち に戦争のない国、平和な日 本になるんだと話した。
タイトル ◆戦病死した父の遺髪を迎えて◆ 片山 田佳子 84歳(無職淡路市) 今も地球上で戦争が続い ている現状を、止めること のできない現実が不思議で ならない。 私の父は3人の子どもと 妻を残して戦争へ駆り出さ れた。昭和21年に戦病死の 告知があり、小学1年生の 兄が英霊を迎えに。白布で 包まれた箱の中は髪の毛が 入っていただけだった。そ の時の母の号泣は今も忘れ ることはできない。神戸空 襲で家を消失し、淡路島へ 疎開してからの生活は、悲 しいことが多々あった。そ の中で母が3人の子を育て てくれ、社会人として健や かに生活を営むことができ たことに感謝している。 戦争は、人間に苦しみと 悲しみを与えるだけ。戦争 は二度としてはならないと 思う。 日本は、79年の平和をこ れから先もずっと永久に続 けて、戦争のない国である ように祈念する。 |
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